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とある金曜日、男の子とハラームと

ピーンポーン。

静まり返った我が事務所兼自宅にチャイムの音が鳴り響く。
ん?誰だろう?

今日は金曜日。イスラム教徒が圧倒的多数を占める、ここバングラデシュでは安息日であり休日である。決戦の日ではない。いまは午前11時ごろ。ベンガル語の勉強をしていた私は、開いていたページがわからなくならないように参考書を机の上に裏返しにして、足音をできるだけ立てないようにして足早に玄関へ向かう。そして息を殺してドアスコープからそっと、ドアの向うの様子を伺う。
男性だ。
はて?

先般バングラデシュで起きたイタリア人殺害事件と邦人射殺事件の後に発出された、在バングラデシュ大使館からの邦人安全情報によると、 バングラデシュ政府は更なる警備強化を目的として、外国人滞在者リスト作成のための警察関係者による外国人宅への戸別訪問を行っている。でも深夜・早朝に訪ねて来る非常識な「警察関係者と思われる人物」もいるから気を付けてくださいね、本当に警察官かどうか、制服にはIDと名前が記載されているかどうか確かめてくださいね、と。

うちにはまだ来てない。あれか?

でも見た感じ警官じゃなさそうだな・・(私服警察官もいるらしいけども)。若干緊張しながら、ドアのチェーンロックとバーを外し、鍵を回してドアを開ける。

「アッサラーム・アライクム」
「アライクム・アッサラーム」

若い男の子だ。
私には見覚えがない。手にはパンパンに膨らんだ赤い手提げ袋を重たそうに提げている。届けものをする部屋を間違えたのかな?余談だが、私は一度会話したりした人の顔はけっこう覚えている。

「Are you..?」
と言いかけて、彼が口を開いた。
「My mother…」

思い出した。レハナの息子だ。レハナは、うちの事務所兼自宅に週末(バングラデシュにおいては金曜日と土曜日のこと)を除いて毎朝2時間ほど、掃除と洗濯と料理に来てくれているメイドの女性のこと。そういえば昨日、冷蔵庫の中の肉(鶏肉か牛肉)や魚や野菜がなくなったのでお使いをお願いしたら、明日息子が届けますって言ってたっけ。

「Ok, come in.」

と言って、私は彼を中に招き入れる。

「ナーム・キー?(名前は何?)」
「ラエハル」

とかベンガル語で言葉を交わして、ふたりで冷蔵庫のほうへ向かう。英語で話しかけてみるも、あまりわからないようだ。
バングラデシュの総合家電&二輪車メーカーであるWALTON(ウォルトン)の冷蔵庫を開けると、レハナが作ってくれたダル(豆)スープの残りが入った片手鍋が置いてあり、スペースが足りなさそうだ。私は野菜室を占領していたハイネケンの缶ビールたちを冷蔵庫の外に出して、スペースを空けることにした。ちなみにビールは、バングラデシュにおいては、外国人はDuty Paid Shopといわれるお店で、パスポートを提示して酒税を払ったうえで購入することができる。

冷蔵庫に食材を詰めるのはラエハルに任せ、私はキッチンに入って昨晩できていなかった食器などの洗い物を始めた。しばらくすると、詰め終わったのか、ラエハルが声をかけてきた。そしてズボンの後ろポケットから、折曲がった白い紙を取り出した。昨日レハナが書いていた、ベンガル語での買い物リストだ。レハナが買った値段が新たに書き入れてある。

私は計算機を叩いて合計を出す。約1,800タカ(約2,700円)。昨日2,500タカ渡したから700タカお釣りがあるはず。と、ラエハルが二つ折りされたお札を何枚か取り出した。確認すると700タカ。

私がOKというと、ラエハルは紙にサインをくれとジェスチャー。

「Do you need this?」

と聞くと、要らない様子。なんのためのサイン?

「Seventy taka」

ああ、うちまで来る往復のリキシャ代ね。私は財布からきれいめの50タカ紙幣と20タカ紙幣を差し出し、サンキューと言って、入り口のほうに促す。

「ボヨショ・コト?(歳はいくつ)」
返事なし。うーん、俺の発音が変なんだろうな。

「How old are you?」と言い直す。
「Twenty one」
「I see.」
・・・・
・・・・
「Beer?」
ん?「Yes.」
「How much?」

うーん、「I don’t remember.」(後で調べたら167タカ/本/350ml≒260円)
まだ何か言いたそうだ。

「Give me one?」
そうきたか・・。
「No」笑いながらお断りした。

そうだよな、ビール初めて見たんかな?バングラデシュでは普通は売ってないもんね。21歳だもんね、興味あるよね。がしかし、ごめんよ。息子にイスラム教ではハラーム(禁忌)とされているアルコール飲料をあげたとなると、お母さん(レハナ)に怒られるからさ。うーん、でも届けてくれたお駄賃にあげてもいいかな?いやいや、やっぱり・・と、ラエハルがドアを開けて出て行ったあとも、しばらく考えていた。

あげるべきか、あげざるべきか。
それが問題だ。